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コンテナのために必要なものとは?

石をあれだけ好んだギリシャ人がどうしてアーチを知らなかったかについて、芸術的才ほどには技術的才がなかったと説明される時もあるが、私としては、木造への心理的な負い目が石の技術を全開させるブレーキになっていたんじゃあるまいか、と思うこともある。
かくして木の形が石に伝えられ、石の柱にエンタシスなんて妙な習いが始まったばっか甲りに、二千年以上してから鴫治の日本の建築史家が、大仮説を立てる羽目になる。
伊東忠太は、明治二十五年、法隆寺の前に立った時、中門の柱のふくらみを見てギリシャ神殿を想った。
しかし正確にいうと、法隆寺の柱のカーブは、中ぶくれで、上に行くに従ってジリジリと絞られるギリシャのエンタシスとはちがうから、専門家はエンタシスとは言わず″胴張り〟と呼ぶ。
忠太は、胴張りの起源はエンタシスという大仮説を証明すべく、ロバの背に揺られ、三年かけてユーラシア大陸を中国からギリシャまで歩いたが、残念ながら証拠は見つからなかった。
だから、奈良のバスガイドは言っても、専門の建築史家は口にしない説と今ではなっている。
法隆寺のエンタシス説と正倉院の校倉造りの湿度調節説は、奈良の古建築についての二大俗説で、前者は未だに証明できず、後者は科学的な計測によって間違いであることが明らかとなっている。
しかし、私としては、ギリシャの石の柱と法隆寺の木の柱の血縁性はあってほしい。
柱というものは石で作ろうがコンクリートや鉄で作ろうが、技術と表現の源は木なのだから。
(割り板)庭先に生えているカ細い南天が床柱になるまで何百年かかるか知らないし、だいいち本当にそこまで太くなるんだろうかと疑っていたから、別府で実例(旧国武郎)を確かめた時にはタライ大の揚子江スッポンをはじめて見たのと同じくらい驚いた。
千葉でブドウの床柱(旧神谷邸)と出会った時には、モウ、イイカゲンニシナサイ!こんなものどこから探してきたんダ。
日本が、世界で最も豊かな木造建築の伝統を持っていることは確かだけれど、そのぶん病の方だってそうとう根が深いのである。
目的地を見失った床柱の銘木感覚は分かりやすい病だが、ちゃんとした教養のある建築家がデザインした住宅でも、木造の感覚は病んでいるように私の目には映ってしまう。
板が一番病んでいる。
プリント合板は問題外として、自然の楢や栗材をスライスして貼。
ラ31日からウロコ!?古代の建築術り合わせた合板はむろん、ムクのフローリング材でも、別れ一つ節一つすらない。
そのうえ、少しの汚れも付かないよう強力な塗装をほどこされているから、ほとんどもう新建材と変らず、木材を原料とする工業製品と化している。
これが床板と壁板の現状だが、天井の場合は事情がちょっとちがう。
天井板は無塗装だから自然な風合が残っているが、あまりに節目の整った材(秋田杉のナカモクというのが代表格)ばかり選ぶものだから、隣り合う板の目がわずかしか違わず、プリント合板と見まごう。
庭の金木犀のにおいをかぐと今の子供は便所のにおい(芳香剤)と思うそうだが、天井板も選りすぐればすぐるほど一番の安物に近づく。
〝均質に″〝整えて〟この二つを会言葉として日本の板材は進化を重ね、気がつくと、工業製品と同じ表情になってしまっていた。
葡萄の床柱も病なら、板の方だって病だ。
そうなってしまうにはそれだけの長い長い歴史的な背景がある。
近代以前、建築用木材の中では、板が一番むずかしかった。
石の斧でも柱(梁も)の切り出しは可能で、わが国最初の柱は縄文時代に切り出されているが、板となると鉄器が必要で、弥生時代を待たないといけない。
柱材と板材には数千年の技術差があるのである。
なお、縄文時代に石器で板が作られた可能性が近年でているが、確証が発見されしだい訂正します。
鉄券といっても、最初から製材用のタテ挽きノコギリがあったわけではなく、弥生時代から鎌倉時代までの長期間、ノミとクサビで板を作っていた。
丸太の側面にノミで一列に穴をうがちクサビを打ち込み、石を割るように割って厚板を作り、薄板はさらにナタのような刃物でタテに裂いて作った。
タテ挽き用のノコギリは、長くて薄い鋼を鍛えるには刀以上の高度技術が必要で、出現は鎌倉時代になるが、その場合でも、労力という点では柱を挽くより板を挽く方がずっと大変で、〝木挽きの一升飯″なんて言葉が残されている。
長かった割り板時代、板に使える樹種は槍、杉などの其直ぐな針葉樹のうち、筋が通りかつ節のないものに限られた。
筋が乱れていると曲って割れるし、節があると割れない。
おそらく、里まで引き出した丸太のうち板に割れるのは十本に一本ていどだったにちがいない。
生れをからの気品と能力を備えた人物に使う〝筋目がいい〟という形容はここかちきたのかもしれない。
以上の製材事情を念頭に置かないと、日本でのみ成立した〝銘木″という特殊世界は分からない。
銘木と開くと読者はまず柱材を思い浮かべるかもしれないが、それは正確ではなくて、銘木界の王者は板。
たしかに南天とか紫檀、黒檀、鉄刀木の三大南洋材とかの高価な床柱材は素人目には目立つけれど、それらは珍奇だったり流通コストが高いというだけで、材の内容として貴重というわけではない。
床柱の場合、節やキズがあっても裏に回せばすむし、柱は板にくらべ狂いづらいから、丸太の中から〝四寸角一間半″ぶんだけ良材を採るのはそうむずかしくない。
ところが板の場合、割り板時代の遺伝子のせいで筋目の通りと節のなさにどうしてもこだわるから、いきおいトロ化し、巨木から数枚しか取れないことになる。
紀州の土居家の樺の床板はベッドを二つ連ねたほどもあったし、埼玉の遠山家(音楽評論の遠山一行さんの実家)のムクの桐のドアーは畳一枚分。
中に畳が何枚も入っているような桐の木なんていったいどんな姿で立っていたんだろうか。
本当に鳳凪が巣をかけていたんじゃあるまいか。
一方に、割り板時代からの長い歴史の尾を引く無節一枚板の銘木趣味があって、もう一方にその銘木趣味を工業化したプリント合板経済がある。
そして中間の本物の楢や栗のフローリング材は、工場で量産されるようになるに従い、どんどんプリント合板へと近づき、自然材ならではの個別性や偶然や破綻を除却して均質化し、塗装されてツルピカ化している。
書いてるうちにイカリがこみ上げてきた。
こんなんでイイノカッ。
銘木陣営もプリント陣営も中間勢力も、均質化、ツルピカ化という点では同じで、建築界、木材界ぐるみ病んでいる。
山で見上げた立木の力強さ、生命力が、建物の中に使われている板からはまるで感じられない。
で、どうすればいいんだろうか。
やるしかあるまい。
山で見上げた立木のパワーを板に持ち込んでみよう。
そう考えて数年前、信州の茅野市に神長官守矢史料館という小さな市立博物館を作った。
目に見えるところには工業製品を一切使わないという方針で始めたからたいへんで、ガラスはどうする、ドイツの職人の手吹きガラスにしよう、コンセントプレートは鍛冶に打ってもらおう、そして外面をカバーする大量の板は?製材所で挽かないとすると、弥生時代のように割るしかあるまい。
割ったままの肌を見せれば、立木の味わいは残るだろう。
自家用縄文住居を作って試住したことはあるが、弥生時代の建築技術に取り組むのは初めてである。
径一尺未満、長さ四尺ていどの梶の丸太を割るのに側面からのクサどの列は不要だろうと軽く見て、木口(切り口)から刃物をたたき込んで縦に一気にべリッと割ろうと考え、ナタ状の刃物を試作し、地元のカクダイ製材所で実行におよんだ。

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